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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-序章- [闘病記]

-序章-

オストドこと私がこの病に侵されたのは、メストド2号が高校1年生だったので、今から8年ほど前に遡る。転勤生活が続き、娘は小学校を6回も転校を余儀なくされていたのだ。そのうち、一回は住居移転(手狭だった)と、阪神大震災被災による一時的に東京の学校(疎開)と神戸より京都への住居移転(震災前に大阪支社主任から、京都営業所所長になっていたが、神戸から通勤していた)も含まれるのだが・・・・・・。子会社の通信機器事業部長職を命じられて東京に舞い戻り(住居は神奈川県)「これでやっと落ち着いた暮らしが・・・・・」と思った途端、「九州統括」の話が噴出したのである。オストドは「父との約束」を思い出した。「30歳になるまでは、自由にさせてもらう。」しかし、30歳はとっくに超えていたのである。オストドは父の会社以外からも数社オファーがあったのだが、「どうせ、戻らなければいけないんだから・・・・」と言うメストド1号の言葉に頷き、「辞表」を前職場に提出。そのころ、中学1年になったばっかりのメストド2号であったが、神奈川から東京のはずれにある職場に朝7時前に到着するには、「無理」があったし、「社宅」として9LDKの家(昔、オストドが小学生の頃建てられた独身寮の跡)を改修してくれたので、東京に引っ越し、新生活は始まったのだが、それまで年間200日以下の勤務だったのが、300日近い勤務それも、一日の就業時間12時間以上の日々で、オストドの身体は悲鳴を上げていたのだが、それを無視し続けたオストド。病魔は着実にそして一歩ずつオストドの身体を侵していったのである。「何かおかしい」と感じたのは1月の頃、手術に臨んだのは8月。そして社会復帰したのは、10月。冬~夏、そして秋風が吹き渡り始めた頃、社会に復帰した闘病記である。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-1章- [闘病記]

-触 診-

オストドはツアーコンダクターだけを生業にしていたのではない。どこかのCMではないが、「どんどん飲め飲め客の酒」。「ツアコン」と言っても「主催旅行」だけ添乗していればいいわけではない。「接待旅行」や「社員旅行」「農協の旅行」などの「宴会旅行」をはじめ、「女子校」の修学旅行(これが一番・・・・だった)やあちらこちらの学校の修学旅行。語学学校の研修旅行などの手配旅行にも添乗しなければならない。どちらかと言うと主催旅行(ツアー)の添乗は気が楽だし、ナンパ(「お客には手を出してはいけない」と言う不文律は・・・・守ってましたけど)もやり放題(主にCA・バスガイド・他社のツアコンetc)。まあ、高校時代のあだ名(オストド・歩く種馬・タラちゃん・・・・)確かに「その方面」の才能は人一倍あった・・・・・。(ボコッ!)「ふっ・・・・」(殴られるオストドとメストド1号のため息)中でも、一番気を使うのが手配旅行。それも接待旅行や招待旅行、修学旅行。農協の「おっちゃん&おばちゃん」を連れて温泉に一泊の場合には、「酒に強い添乗員」が選ばれる。出発した途端に紙コップ酒。しかも「溢れんばかり」注がれているものを、「一気」に飲む。その後はウィスキーやビール・焼酎と手渡されるものを「飲み干さねばならない」義務がある。休憩や見学のたびに「トイレに駆け込んで」指を口に突っ込み吐き出す。(酔っぱらっては仕事にならない)そのような行為を延々繰り返す。宴会場でも煮物椀の蓋に注がれた日本酒などを「すきっ腹」に押し込めるだけ押し込め、また、トイレで吐き出す。「何をもったいない事を・・・・」とお怒りになる方もいるだろうが、売り上げの10%が会社に入る仕組みになっているので、「売り上げ」のためやむを得ない。私ではない・・・(と、記憶しているが???)ある添乗員(男)は「自分自身」を取り出し、コップに水をいれ、「阿寒湖のマリモでございます」などと一発芸(おばちゃんたちには受ける)を披露?する。そんな「むちゃくちゃ」な生活が続けば1年目で腰痛。(性病になったのもいたけど・・)2年・3年と経てば「廃人」になるのも時間の問題である。私の場合には、胃潰瘍になったので、ドクターより「1年間添乗禁止&酒全面禁止」を言い渡されたのだが・・・・。いつまでも「過酷」な世界に身は置けないので、お誘いを受けたとある大手損保会社の「代理店研修生」として勤務。必要な資格をある程度修得したので、「顧客」(旅行業界時の)前職場の社長に乞われて入社した。そこの会社は生損保代理店として、日本有数の企業(代理店としては)で、私の担当は取りあえず「アメリカンファミリーの保険」を扱うことになった。業界の健康保険組合とタイアップし、共済会として各社を訪問・説明会・勧誘をするわけなのだが、乳がんになった「乳房の模型」を持参し、実際に「触診」のやり方をレクチャ-するのだが、男性陣には「奥さんや恋人の乳がんを早期発見できるかどうかは、あなた次第!」としこりの見つけ方をレクチャーし、女性陣には「恋人やご主人に見つけてもらうか、ご自身で見つけるか?さもなければこの私が・・・」などと言いながらレクチャーしていたのだが・・・・。その頃から風呂場ではチェックしていたのだが、正月が過ぎいつもの勤務が始まったある日のことである。「何かがおかしい」男性にはお分かりになるのだが、「男性自身」は「バットが一本、玉二つ」なのだが、右側の玉が左に比べ大きくなってきている。・・・・・おかしい。だが、自分がセミノーマと呼ばれる精巣腫瘍(悪性)に罹っているとは考えられずに、「きっと疲れているせいだろう」「暫くすれば治るさ」と現実逃避をしていたのである。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-1章- [闘病記]

-うずらの卵とにわとりの卵-

日を追うごとにつれ、その差は大きくなる。一月もしないうちに「うずらの卵」(左)と「にわとりの卵」(右)ぐらいの大きさになってきた。本来ならすぐ病院に駆けつけねばならないのだろうが、愛娘であるメストド2号の精神状態が不安定な時期に家庭を離れるわけにはいかない。彼女は今、美しい蝶のように羽ばたいていく為に「さなぎ」になろうとしている。時期なのかもしれない。そんな成長の過程をみすみす見逃すわけにはいかない。もしかしたら、私の命はなくなるかもしれない。「悔いは残したくない。」仮に自分の命を縮める事になろうともその「瞬間」だけは脳裏に焼き付けておきたい。出来れば美しい蝶のように羽ばたいていくその日までは・・・・・。しかし、病は残酷なものである。刻一刻一刻とその瞬間を刻み付けていく。果たして愛娘の成長が本当に見たかったのか?いや、多分違う。「宣告」されることが怖かったのに違いない。私の従兄弟は同じ病でこの世を去った。享年30と少しだったと記憶している。彼も自分自身の身体にメスを入れられるのが怖かったに違いない。よほど我慢に限界があったのだろう。その病魔は全身を駆け巡り、私の従兄弟をこの世から連れ去った。ただ一言。「とても痛むんだ」との言葉を残して・・・・・・。

-診察のついでに-

病はオストドの体力を確実に一歩また一歩と奪い去ってゆく。風邪を引けば長引くし、なにより「やる気」そのものを奪ってゆく。風邪の診察を受けに主治医であるA医師を訪ねたのは6月も終わりに近づいている頃だった。本当は風邪の診察ではなく、メストド1号の懇願と「まだ、さなぎになるには時間がかかるよ」と言わんばかりのメストド2号の無邪気な笑顔に励まされて、診察を受ける気になったのである。私のその当時の主治医はT県I市に病院を構えており、その先生の人柄なのだろうか、患者で溢れかえっている病院であった。私の場合には、「1年365日24時間体制で診てやるよ」との温かいお言葉?に図々しくも「結石が騒ぎ出した」だの、「妻が高熱を出した」だのと「自分の都合にあわせて」診察を夜中でも受けるし、日曜だろうが祭日だろうが関係なく受診をしていた。そのA医師のところに診察を受けに行ったのも、土曜日の夕方。一般患者がいない時間帯を狙っていく。そのときの会話は次の通りだった。

A:「今日はどうした?」 オ:「風邪がなかなか治らなくて・・・」 ・・・・・・・・・・オ:「それとついでに診察してもらいたいのですけど・・・・・」(患部を診せる・・)A:「お前なあ・・・ついでじゃないだろう。こっちのほうが大変だぞ・・・・・・・・・)オ:「(絶句・・) A:「今日、S先生来てる?呼んできて!それと検査室準備。)オ:「あの~」 A:「多分、検査しなければ分からないけど・・・腫瘍だな・・・・・)オ:「しゅ・腫瘍ですか?それって・・(しばし、絶句)。あの~一応、ガン保険は入っているんですけど・・・・・・・しゅ・手術しなければだめですかね。今、仕事忙しくて・・・・・その・・・・・・え~っと、心の・・・・準備も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」A:「そうだな。S先生は泌尿器科のスペシャリストだから・・・・先生の見解・・・」オ:「で、ガン?ですか?切除して細胞検査に廻して調べなければ・・・・・・・・・」(S医師登場) S:「セミノーマの疑いだって?どれどれ」(検査室でA医師と共に各種検査を行うS医師)S:「うん。水腫ではなくて腫瘍だね。立派なセミノーマ。」オ:「で、どうなるんでしょう?」 S:「そうだね。手術と言っても1~2時間ぐらいだね。パイプカットはしばるのだけど、その後、ちょん。ちょん。・・と切っておしまい。まあ、3日くらいの入院かな。この病気は20代~30代の男性が発病する病気で、10万人に1人くらいの珍しい病気だよ。」 オ:「で、良性ですかそれとも・・・・・・・」 S:「A先生も言っていると思うけど、組織細胞を・・・・・・・」オ:「手術しなかたら、どうなります?」 S:「破裂して・・・・お仕舞い。・・・かな」A:「まあ、2~3日で全てのデータが揃うから、そのとき決めよう・・・・・・・・・・」

病院を辞して愛車を、会社に向け走らせながら、私の頭の中は真っ白だった。会社に戻り仕事の算段を始める。大手の企業なら「代わりの人間」はいくらでも居るのだが、しがない弱小企業ではそのようなわけには行かない。万一を想定して身辺整理もしなければならないだろうし、娘や妻との思い出も作っておきたい。会社でPCに向かい「遺言」を認める。遺言を認めていると、まるで走馬灯のようにそれまでの人生においての悲喜こもごもが浮かんでは消える。大粒の涙がこぼれるのも構わずに、愛する妻と娘そして、私を育ててくれた父。そして、友人に別れ言葉を認め、パスワードを掛けて保存する。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-2章- [闘病記]

- 「♪ たん・たん・タヌキの○○は~」 -

やはり、検査の結果は芳しくなかった。オストドの会社の休みは通常4日なのだが、2週間の休暇を申請。前半の1週間は妻と娘、娘の友人をつれて、房総へ海水浴等。後半の1週間が入院・自宅静養と決める。そのころのオストドの患部は「うずらの卵対あひるの卵」の状態になっており、まるで、「タヌキの○○状態。本来は一刻の猶予もなかったのだが、A医師に「お願いだから・・・・」と懇願し、許可を無理やり出してもらう。ついでに会社のPCから「遺言」をCDロムに写し、友人Tに預ける。その頃の心境は・・・・・複雑だった・・・・のである。

-貸し別荘2泊3日の旅-

マンションタイプ(プールも備えられている)の貸し別荘(2LDK)を借り受け、愛車で出かける。娘の友人は前日から来ており、都合4泊5日行動を共にする。海やプールではしゃぐ娘達を見つめながら、「来て良かったな」とつぶやくと妻は少し怒ったように「縁起でもない・・・まだ、頑張ってもらわなければ・・・」と言う。「そうだな。せめて娘を嫁がせるまでは・・・」とオストド。妻であるメストド1号は「私の老後はどうなるのさ」とポカポカ泣きながら私を叩く。プールサイドでバーベQ・夜には花火。楽しい日々は容赦なく駆け抜けてゆく。娘の友人が帰った後、入院の支度をする。妻にサイフを丸ごと預けたのが、今にしては大失敗。きれいに中身(10数万円)はなくなってしまった。また、その頃の妻は携帯電話を持ってはいなかったので、万一に備え娘やその他に連絡用に渡しておく。(勿論、「危ない」データは削除して・・だが。)入院日当日は朝から雨。妻の心づくしの朝食も味が分からない。妻と二人で病院へ出かける。娘は部屋から出てこない。後で聞いたところによると部屋で泣いていたらしいのだが・・・・・。

-最後?になるかもしれない昼食-

「12時に病院へ来るように」とA医師に言われていた。最寄駅に11時過ぎに到着。「お昼ごはんないんだってさ。何か食べる?」とメストド1号。だが、私には食欲はなかったのだが、タバコは吸いたい。ドーナツショップでドーナツを食べながら、「もしかしたら・・・・」と言った途端、「怒るよ!」と返ってきた。だが、万一に備えてパスワードは伝えねばならない。しかし、メストド1号である妻は聞こうともしない。しょうがない、メモを病室に残しておくことにした。病院に到着すると、すぐ病室へ案内される。下着を着けずに持参の浴衣1枚に着替える。妻がトイレにたった隙に「メモ」をバックに滑り込ませる。剃毛(恥ずかしい。若い看護婦に剃られた。思わず・・・・。)私の玉には名前がついている。2号・3号。今回で2号とは永久におさらばになる。点滴の針が腕にさされ、尿道にはチューブが差し込まれる。自力でストレッチャーによじ登る。まだ意識はあるのだが、「黒い影」が「おいで・おいで」」と手招きをする。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-3章- [闘病記]

-「まな板の鯉」-

ストレッチャーで5階の病室(個室)から1階にある手術室まで運ばれる。今にも泣き出しそうなメストド1号に「Vサイン」を示し、手術室に運ばれる。そう、言いたいこと、伝えたいことは全て「遺言」に書いてあるからなのだ。ストレッチャーからまたまた自力で手術台によじ登る。この病院のこの台に登るのは2度目一回目は尿道結石になったときで、完治したかどうか検査するためにファイバースコープを入れるとき、そして今回。産婦人科の台(看護婦が教えてくれた)も2回目。毎度ながら女性の偉大さには頭が下がる。そう言えば「女は弱し、母は強し」って言葉があったっけ。今はともに「強し」だけど・・・・。手術台に登ったオストドは「まな板の鯉」状態であった。舌の上に麻酔材を乗せられる。コロコロ転がす様言われるが「に・にがい。」せめて、フルーツ味だったら良かったのに・・・・。無理やり口をこじ開けられ「気道確保」のため、管を挿入されるのだが苦しくて、まさに「鯉」のごとく暴れる。手や足、身体を押さえつけられ麻酔の注射を打たれる。看護婦が肩をやさしくリズミカルに一定の速さで叩く。いつのまにか「観念」して眠りの世界に引き込まれていった。

-夢の中で-

いつの間にか、スーツにカバンを抱えている私がそこにいた。名も知らない駅なのだが、列車に乗らねばならない。キップを買い、ホームへ登ってゆく人々の群れの中に私は混ざっていた。「長旅に備えて売店で買い物をされては?」との女性の声に導かれ売店へ行く。愛娘にそっくりな売り子が少し悲しそうな顔をしながら、私の注文した商品を袋に詰めてゆく。お金を払おうとすると、「いらない」と言う。「おかしな娘だな」と思いながら、袋を受け取り、列車に乗ろうとすると、小さい子供、二人が足を引っ張って乗せようとしない。振りほどこうにもますますその力は強くなってゆく。「乗らなければならないんだから、放しなさい。」と言うが、悲しそうな顔をする。最初の列車は発車してしまった。青白い顔をした人々を乗せて・・・・・。次の列車がホームに滑り込んできたので、乗ろうとすると、先ほどの娘に良く似た売店の売り子が私の腕を引っ張って放さない。私の足を引っ張っていた子供ふたりが乗り込む。少し悲しそうな顔をしていたのを覚えている。昔、可愛がってもらったお兄さんに良く似た駅員が「最後の列車は行ってしまいました」と私に告げる。いつの間にか売り子も姿を消している。駅員が駅長のところへ連れてゆく。少し赤ら顔の駅長である。「あなたの乗るべき列車は行ってしまいました。今日のところは一回お戻りになられたほうが・・・・」しょうがないので駅を出る。どこかで声が聞こえる。その声の方へ歩み出す。しばらくして振り返ると、そこにはもう「駅」はなくなっていた。

- 夢の中で 2-

「・・・・ド、・・トド、オストド!」妻であるメストド1号の声だったのである。いつの間にか手術室より出され、病室へ向かう途中のことであった。指を2本出し、「Vサイン!」「良かった。もう大丈夫ですよ。」と看護婦がメストド1号に話しかけている。意識ははっきりしているのだが、身体はまるで鉛を装着しているように重い。ストレッチャーが病室のベットに横付けされる。「1人で降りれますか?」の問いにうなづき、「降りると言うより落ちる」と言ったほうが正しい表現で、ベッドに移る。まだ眠いのでほっといて貰いたいのだが、少しでも眼を閉じようとすると、誰かしらがたたき起こす。麻酔が効きすぎているようなのだ。呼吸器を点けられ、心電図モニターやら一杯の機器がぶら下がり、いつの間にか「重病人」状態になっている。私は手術中に夢を見ていたのだ。夢と言えばもう一つ。私が手術を受けている時間に自宅では泣きつかれた愛娘も、いつの間にか眠りにつき、夢を見ていたらしい。

「・・・ちゃん。お姉ちゃん。」娘に呼びかけてきた男の子と女の子。「だぁれ?」「僕、チョビだよ。」「私はジョジョよ。」「いつの間に人間になったの?」「あのね。お父さんが大変なんだ。助けなくちゃ。」「???」「でもね。お父さんって呼んじゃいけないの。そうしたら、お父さん死んじゃうから・・・」

娘と私は共通の夢の中を彷徨っていたらしい。娘は自分に気がつかない。父親に声を掛けられず、腕を引っ張っていたらしい。私をあの世へ連れてゆく列車に乗せないために・・・・・。

後日談になるのだが、娘の夢に出てきたのは、我が家で飼っていたハムスター。ジョジョはある寒い晩に息を引き取っており、チョビは私の手術日に息を引き取ったとのこと。私にだけ良く慣れていたハムスターで、私の半天のなかで眠るのが好きだった。きっと、身代わりになってくれたに違いない。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-4章- [闘病記]

-寝苦しい晩に-

手術を終えた私は非常に空腹であった。なにしろ、空飛ぶ食欲魔人を名乗り、自他共に認めるほどの大喰らい。しかし、「敵も去るもの引っかくもの」で待てど暮らせど晩御飯は出てこない。夏の暑い中なのに私の部屋はエアコンは止められ、窓は閉め切られているので、喉が渇く。A医師曰く、「必要な栄養分や水分は点滴で補えるから・・・」と言うが、喉の渇きと腹の虫が泣きやむかは別の問題。まして窓の外、道路向かい側には焼肉屋のネオンが瞬き、私は「生き地獄」を味わっていたのである。気道に押し込まれていた管は撤去されていたが、鼻には酸素のチューブを入れられ、片手には点滴が休むことなくぶら下げられ、左足に留められた、尿道に突き刺さっているチューブは小刻みに体外へ強制排出される尿が生温かく、気持ちが悪いし、右手には心電図モニターのセンサーが点けられており、そのさきのモニターは正確に私が「生かされている状態」を告げている。見回りの看護婦が私がモソモソ動いているのに気がついた様で、「痛みますか?」と聞く。あまり痛くなかったのだが、コクン!とうなづくと、モルヒネ注射を施された。喉の渇きなどは「ガマンしてくださいね。」と悪魔の微笑みで行ってしまった。う~ん。!

-こんなものでは、死んじゃう!-

翌朝の回診時のこと。朝ごはんに出されたのは、おもゆ&野菜の煮汁。お茶のみ。ほんの2秒で飲み終わる。A医師に「こんな飯続いたら死んじゃう!」と喚くオストド。昼ごはんは煮魚半切れ、野菜の煮物・5分かゆ・味噌汁・お茶。やはり、数秒で食べ尽くす。午後の回診でまたもや「喚く・喚く・喚く」夕食からは、まともな食事が出てきたのだが、足りるわけがない。妻に買って来させたカステラ・ポカリスエットお菓子類が命を繋いだと言っても過言ではない。会社の上司が見舞いに来てくれたのだが、「どうせ大した事ないだろう」と様子を見にきたのだが、心電図などのモニターに眼をやり、驚いた様子。休暇延長は無条件で聞き入れられた。-ほっ!-

- 死んじゃった?オストド-

昼食後の事、昼寝を楽しんでいたら、まわりが騒がしい。「?」と眼を開けるとA医師や看護婦が部屋へ飛び込んでくる。私の身体に取り付けらているセンサーに問題があるらしい。心電図のモニターに眼をやると「し・死んでる」ではないか。どうやら、無意識に寝返りを打った拍子にセンサーとセンサーが近づきすぎモニターが誤作動してしまうみたいだ。また、私は「無呼吸症候群」もあるらしく、4~5分ほど呼吸が止まる。それを別室でモニターしていた新人ナースが慌ててA医師を呼んだらしい。その後、ナースコールを押すことなく、わざと誤作動させ、看護婦を呼んでいたため、(点滴が終ったとか・・・・・)「オオカミ少年」もとい「オオカミおっさん」扱いで心電図のモニターは外してもらえることになった。-やれやれ-ついでに、気持ちが悪いので尿道カテーテルも外してもらう。メストド1号に支えられながら、トイレへ行くが「出ないものは出ない。」ついでに点滴をぶら下げたまま非常階段外においてある灰皿へ行く。24時間以上ぶりのタバコに火を点けるが「マ・マズイ!」もしかしたらタバコが止められるか?と思ったが気のせいらしく、点滴が外れたらまた「ヘビー」へ逆戻り。

 


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-5章- [闘病記]

-退院・自宅養生・そして再入院-

5日ほどで半ば強制的に退院。自宅に戻ると愛娘であるメストド2号が、居間に布団を敷いていてくれた。私の患部からは黄色いリンパ液が少しずつ出ている。ガーゼでは押さえ切れなくてとうとう女性用生理用品のナプキンを使用すると、按配がよい。2週間ほど自宅養生で毎日通院の日々。抜糸は痛かったので2回に分けて行われた。細胞組織検査結果は「クロ判定」つまり、ガンであった。A医師曰く、「保険会社の書類持っておいで」この一言が「あなたはガンですよ」の告知であった。A医師及びS医師の薦めにより「ステージ」が進行していたと写真を見せられ説明。メストド1号は実物を見せられていた。後日聞いたところでは「きれいなピンク色だった」そうだが・・・・。結局、両医師が以前勤務していたJR病院にてリンパに放射線治療を受けることになったのだが・・・・・。A:「まだ、子供欲しいかな?」オ:「はあ?・・・・・・・・・」メ:「・・・・・・・(無言)」A:「放射線治療すると、99.9%はもう子供は望めないね。仮に妊娠しても奇形児や障害児の可能性も捨てきれないし・・・・・まあ、二人の問題だから・・・」オ:「まあ、今一個いますから・・・・・。」S医師:「あと、髪の毛が抜けるかも・・」オ:「しょうがないですよね。」メ:「カツラもいいのがあるし・・・・・・・・・・・・・・・」

お二人の紹介状を貰い、JR病院の放射線科に行く。最初に応対した医師は下っ端医師で「入院治療」を求めるオストドに対し、「放射線科はベッドがない」とほざく。「翌日にまた来い。そうすれば慈恵医大の先生が来ているから」と言う。A医師の元へ再びUターン。もう一度紹介状(入院治療依頼)を書いてもらい、翌日JR病院へ行く。だが、放射線科ではベッドが用意できないので泌尿器科預かりもしくは、慈恵医大での治療と言うことになった。放射線科の科長であるこの先生の依頼書とOB二人(泌尿器科S医師と外科A医師)の紹介状は功を奏しただけでなく、ちょっとしたVIP扱い。泌尿器科科長預かりで入院させてくれると言う。ただし、大部屋はダメとのことで、二人部屋を個室扱い(当時1日7000円の差額ベット代)で入院が決定。治療回数15回、リハビリを含め26日間の入院が決定した。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-6章- [闘病記]

-放射線照射と再入院生活-

放射線医師によると、通常2ヶ月ほどをかけて行う治療(通院:約30放射)を「休みが取れない」と言うオストドの希望を聞き入れてくれて、半分の15放射で治療を行ってくれると言う。但し、その被爆量は1回に浴びることの出来る?最大被爆量にほぼ近い数値らしい。つまり、副作用は強いとのこと。「最初の1週間ほどは厳しいですよ」と告げられた。再入院日は9/1。手術から数えて16日目。メストド1号からアメリカンファミリー生命から、入金があった旨を聞く。診断給付金100万円x3口で300万円の入金があったとのこと。担当者と電話で話した内容を聞くと、本人に告知がされてない場合(結構多いらしい)には、その配偶者や親との文書のやりとりに個人名を使うそうだ。だが、私の場合にはA医師から「保険会社の診断書持っておいで」で悟ってしまったし、生きる為に戦う覚悟は出来ていたので、そんなやりとりを聞いて、「ふ~ん。なるほど。」と感心した。JR新宿駅から病院へ向かう途中、まだ時間があるので喫茶店で一休みしながら、「髪の毛が抜けたらどうする?」と話し合う。メストド1号はカツラを買ってくれると言うが、私はそんなものかぶりたくもないので、「全部剃って、在宅出家する」と宣言。すると、「アンタがお坊さん?なんか色ぼけ坊主か血なまぐさい坊主にしかなれないと思うんだけど・・・」と失礼なことを言う。時間になったので泌尿器科の診察に向かう。またもや、科長である医師の診察を受け、担当医をあてがわれる。その担当医はあの先日の「慈恵医大青戸病院のM医師」。今思えばこの病院でこの医師に手術を受けずに済んだのは、神の思し召しに違いない。-感謝ーこの医師は面白くないみたいだ。なにせ、政治家や金持ちでも、何でもない「どこかの馬の骨」をVIP待遇する科長。さらに、他の医師による手術を行われた「馬の骨」の健康管理だけがその職務なのだから・・・病棟勤務のナース(主任)が診察室に迎えに来るので「待つよう」告げられる。私が当てが割られた病室は、医局に近くトイレの前にある二人部屋。もちろん1人で使う。洗面台とベットが二つ。TV付(但し有料)まあソファーがあれば言うこともないのだが、まあ贅沢を言えばきりがない。案内してきたナースより体温計(買取品)と食事アンケート・病院内の規則書などが渡される。「オストドさんが入院されると聞いて、看護の教科書を読み返したのですけど、セミノーマの看護はどうすればと書かれていないので、どうすればいいですか?」と聞かれる。「病人だったけど今は半怪我人。まだ多少リンパ液が漏れるのでそのケアーを頼みます。」と告げる。患者にどうケアーすればいいのか聞くナース。う~ん。まあ、ほっといて頂いて・・・・・。添い寝は大歓迎だけど・・・。(ボカッ!)この病院は食事の好き嫌いが出来るらしい。早速、チキン・ポークは外してもらい牛乳もいらない。ただ「吐き気及び嘔吐」が予想されるので、毎食デザート付。(大体、予想される吐き気、嘔吐は夕食時間に掛るらしい。)この部屋のもう一つのお薦めは病院裏手の看護学校の寮が丸見えのこと。入院生活一週間後には夕食終了時から就寝時まで訪問客(入院患者・男性)が溢れかえっていたのは言うまでもない・・・・・・・。午後1時頃になるとナースステーションからお呼出が掛る。つまり、「楽しい?放射線科治療」のお呼出である。ナースステーションに立ち寄り、診察券を貰い地下1階まで移動する。放射線科科長と共に治療室へ行く。この治療室は付近への放射線被爆が無いようにとの配慮からか、重い扉をスイッチで開閉しながらグルグル回りながら進んでいく。まるでカタツムリの貝殻のようである。放射線は真っ直ぐにしか進めないのでこのような構造になっていると言う。薄暗い治療室に入り、「ガウン」に着替える。但し、下着はつけてはいけない。放射線台によじ登ると右足付け根、下腹部、みぞおちあたりにマーキング(油性マジック)される。このマーキングにあわせて、数十秒づつ3回放射を受けるわけだ。わずか、1~2分間の治療でお終い。何の痛みも伴わない。しかし、その数時間後にはトイレの個室で、嘔吐し続ける自分があるとは夢にも思わない・・・・・・。

オストドはヘビースモーカーであり、空飛ぶ食欲魔人でもある。朝6時の検温の時間には病室にはおらず、喫煙ルームで談笑&スモーキングタイム。おかげで、「申し送り」で朝5時にたたき起こされ「検温&体重測定」になってしまったが・・・・。入院生活も1週間を過ぎると退屈である。昼間は窓の外を見ても何もない。病院内の探検も飽きてしまったし、・・・・・。と言うわけで、同病相哀れむのかガン患者&糖尿病患者の集団でスモーキングルームに籠もる日々は続く。部屋にいるのは、見舞い客が来た時か、寝る時そして食事の時間くらい。その際に夜の眺望?の素晴らしさを力説したせいか?どうかは知らないが、オストドの部屋は「夜間集会場」になってしまったのである。因みにある骨折患者などは双眼鏡をパジャマの下に隠し持ち、松葉杖をついてやってきていたが・・・・・。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-7章- [闘病記]

-リハビリ&買い喰いの日々-

医師は「社会復帰」に向けてリハビリをしろ!と言う。放射線治療の副作用は目眩や立ちくらみもある。吐き気や嘔吐が1週間ほどで収まったので、治療後は外出許可を貰い2~3時間外を歩く。土曜や日曜などは娘も病院に来ていたし、治療もないので4~5時間ほど家族でウィンドウショッピングをしたり、プリクラを撮ったり、とんかつ・ステーキなどを食べていたのだが・・・・・・・。

あるとき、娘が来なくなったので妻に理由を尋ねてみると、娘は娘なりに「お金の心配」をしていたらしい。贅沢に個室に入り、好きなものを食べ歩く父親に「ぶち切れた」らしいのだ。なんでも、「学校辞めなければいけないかも・・・」とまで考えていようとは・・・・・・・。妻に頼んで娘を連れてきてもらう。「保険」で充分おつりが来ること。給料も丸々支給される旨を話すと、娘が泣き出す。様は「お金の心配」のあまりアブナイバイトも考えていたらしい。これも娘なりの愛情表現なのだろう。高校生になって少し精神的に不安状態になっていた娘は、いつの間にか成長を遂げていたのである。

相変わらずの日々を送り続けたある日の事。「強制退院させられるおばあさん」の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。1回の入院では3ヶ月しか入院できないからだ。そのおばあさんは3ヶ月毎に違う病院を「転居」しなければならない。妻の面会も3日毎にさせた。何故なら、面会に来ると夕食の支度が出来なくて惣菜や弁当・コンビニの日々だと言う。私は「自力」で街中を徘徊できるので、買い喰いも容易である。ある日のこと、外出着に着替え喫煙ルームへ行く。「マック食べてくる」と告げると、「俺にもビックマック買ってきて」と言う仲間。「オイオイ大丈夫?・・・・・」この人は職場で血を吐き倒れて運ばれて来たときは心臓停止状態だった人。電気ショック3回目で息を吹き返した人物。しょうがないので、買ってきて渡したけど・・・・・2~3日姿が見えなかった。集中治療室行きだったらしい。ある人は「俺これから手術なんだわ。1週間で戻ってくるから・・・」と言って去っていった。公約?どおり1週間後には点滴をぶら下げてタバコ吸いにきたけど・・・・。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-8章 [闘病記]

- 展望浴場で気分は最高!-

毎日の日課が入浴。病棟の各階にも風呂場はあるが、やはり大浴場には叶わない。洗面器に入浴セットを入れ、最上階にある展望浴場に向かうには、ナースステーションの前を過ぎなければならない。エレベーターを待っているとナースから声がかかる。「オストドさん。お風呂?気をつけてね。」これが超ベテランナースなら「はいよ~!」で済ませてしまうところだが、若いナースに声をかけられるものなら、「心配だったら、一緒に入る?」とついオヤジ根性丸出し。「そこからは、別料金だよ!」とか、「病気。悪化しても知らないよ!」とか切り返される。「残念!」と答え、そそくさと浴場へ行く。私が入る時間帯は1泊2日の人間ドックに入っている人々と大体一緒の時間。ある人は「そのマーク何?」と聞いてきたので、「ガンなもので、放射線治療のマークです。」と答えるとバツの悪そうな顔をする。真昼間の新宿の街を歩いている人々を見下ろしながらの入浴は天国にいる気分である。

-「退院するの~?」-

退院を数日後に控えたある日、病棟の婦長が部屋にやって来た。妻も少しずつ貯まった荷物を持って帰ると言う。「退院するの~?もっと入ればいいのに」と婦長の弁。検温と体重測定時に脱走する以外、私は手のかからない患者である。一度だけ夜間の見回りの際に、トイレから戻ってくると丁度、ナースが懐中電灯で覗き込んでいたので、後ろから「ワッ!」と驚かしたぐらい。後で仕返しされたけど・・・・。(仕返し=採血の注射痛かった。新人ナースの実験台=生贄とも言う)婦長に言わせれば、1人で二人分の部屋を独占し、手間のかからない患者は大歓迎だと言う。「完全にリハビリを済ませて退院すれば?」とも言われた。オストドも一瞬こころが動いた。何せ、ナースは1人を除き、みんな冗談が通じるし、融通が利く。好きなもののオンパレードの食事に真昼の入浴。しばし、考えたのだがやっぱり「退院」することにした。

-「ずるいよ!」-

この一言は同じ放射線治療仲間から浴びた言葉である。私だけ髪の毛が抜けないばかりでなく、抜け毛が少なくなったのである。おかげで、薄いながらも今でも自毛である。喫煙所の仲間達の見送りを受けて退院。人ごみを歩けば軽い目眩がまだ続いている。「タクシーで帰る?」と聞かれるが、ゆっくり電車で帰ることにした。26日ぶりに帰る我が家。娘が笑いながら出迎えてくれた。


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「ちょっとだけ人より長い・・・・夏休み!」-最終章 [闘病記]

-真っ直ぐ歩くにはコツがいる!-

退院して気付いたのだが、真っ直ぐ歩いているつもりでも、左に寄っていってしまう。バランスが取れないのだ。少し右に傾いて歩いてみると丁度いいみたいである。今では普通に歩けるのだが、当時は意識しなければ歩くことが出来なかった。精巣は繁殖のためだけではなく、バランスボールの働きもあるようだ。気になる後遺症は疲れやすくなったことぐらい。性欲も半減以下に落ちているには正直驚く。口の悪い友人などは「天罰じゃ~!」とオストドを罵り、「種馬も種がなければ只の・・・・・」とほざく。「まあ、人一倍やってきたんだからいいんでないかい。」とは別の友人。「暫くおとなしくしてな!快気祝い考えてやるから」とは、友人であり先輩でもあるT。CDロムを返してきたので、木っ端微塵にしてしまう。妻であるメストド1号と娘であるメストド2号には大変な心配と迷惑をかけたと思うので、正月休みはメストド2号は北海道の妻の実家へ遊びに行かせ、メストド1号には感謝を込めて山陰へ出かけたのである。

-保険に入っていて良かった。-

オストドは生命保険。所謂「死んだら保険」には500万円しか加入していない。ただ、「生きるための保険」には沢山加入していた。今回の収支バランスは「まっ黒」つまりプラスだった。幾ら入ったかは想像にお任せするが、大騒ぎした割には出費が抑えられた。これで娘の大学の入学金になるとは・・・・・・・。うむ。そう言えば昔、手相を見てもらったことがある。「大病するけど無事」との言葉どおりに私は今生きている。

最後になるが、諸先生やナース。そして最愛なる妻と娘に感謝すると共に、今なお病気と戦っている人々の平癒を祈願して筆を折ることにする。最後までお付き合いのほどありがとうございました。


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